終わらない4月30日

結局、先生を前にして僕は何も喋られませんでした。
最後に何か聞くことは無いかずっと考えていたのですが、何も聞けませんでした。
ただ先生の言うことに聴力を集中し相槌をうつことで精一杯でした。
いつもみたいに変な冗談や軽口を言えるような気分じゃありません。なにかが自分のなかで事切れそうな危うい状態でした。
先生も今までありがとう、これからの治療がんばってね。と、そして今後の治療の注意点などを言ってましたが、最後には何も言うことがなくなったのか黙ってしまいました。そして僕の目の前に出された先生の右手「冷たいけど……最後に握手しよっか」
僕は先生のひんやりとして気持ちのいい右手を熱く震える右手で握り返しました。
そして先生は部屋を出て行きました。


ごめんなさい先生。先生と握手した右手は涙で汚れてしまいました。


先生が去った後、涙腺を制御していた神経が死んだように涙が止まらなくなりました。
先生のことが頭から離れず、一遍でも考えるだけで止めども無く流れてくる涙が手を汚し服を濡らしました。僕は布団にもぐりこみ声を殺して涙のある限り泣きました。
また先生に会いたい。
なんで急に居なくなるのか。


何故、先生がこんなにも急に消化器内科に異動になったのか?


これだけが僕の脳を支配していました。
ずっと、僕が退院するまで僕の担当は美人でやさしい女医だと当然のように思っていました。
先生の異動の理由なんて、いまさらどうだっていいことだと思えるのになるのに二時間かかりました。そんなことを知ったところで先生は血液内科からいなくなる事実は変わらないのですから。
僕は入院して以来、目の前の事実を楽観的、肯定的に甘受してきました。白血病にかかった、膨大な量の飲み薬、抗がん剤の副作用、孤独、食事、白血球の減少による感染症……。
すべてが最低です。
だからポジティブに考えなくては精神が持ちません。
今度の先生のこともまったく同じことがあてはまります。
僕がクリーンルームから大部屋に移れるまで回復(すなわち抗がん剤治療の終了)すれば外歩きができる。そうすれば同じ内科病棟内の消化器内科まで歩いてゆける。
先生とまた会えるという算段です。
その日まで死ねないということなのです。


テーブルの上の卓上カレンダーは四月のままです。